こんにちは!事務局のヒトです\(^_^=^_^)/
今回は、とあるスポットを訪れてきました。
そこがどこなのかは、読み進めながら、
楽しんでいただこう、という趣旨でございます。
ではでは、そこに至るまでの道のりをご紹介いたします。
スタート地点は有楽町駅です!
有楽町の名前の由来は、
織田信長の弟の一人織田 長益(おだ ながます)の号「有楽斎」にちなむものと言う俗説があります。
このあたりの屋敷に住んでいたとのことですが、
もう一カ所、有楽斎にちなんだ場所があるそうです。
それは「数寄屋橋」です。
「数寄屋」は「好みに任せて作った家」といった意味で、
茶室を意味し、数寄屋橋の語源は「有楽斎の茶室」からきているそうです。
※有楽町自体が俗説なので、数寄屋橋も俗説かもしれません…!
ちなみに大阪にも有楽町があったのですが(こちらも有楽斎にちなんでいたそうです)、今は区画整理により、なくなったそうです。
数寄屋橋公園の若い時計台:岡本太郎氏の作品です
次は、数寄屋橋公園からほど近い泰明小学校の入り口です。
ここには雑誌「文学界」で活躍した島崎藤村・北村透谷の記念碑があります。2人はこの小学校で学んだそうです。
2人の石碑
さて、お次は、こちら。
石川啄木の石碑です。
この辺りで働いていたそうです。
文学が続きます…じつは、これ最終目的地のちょっとしたヒントだったりします…。
啄木の本名は石川一ととってもすっきりしています。
なぜ、啄木とつけたのでしょうか?
一説によりますと、警鐘の詩人と言われた啄木がキツツキのように
警鐘を鳴らしていたことをあらわしていたのかもしれない、とのことです。
次はグッと築地方面へ向かいますが、またしても石碑です。
それにしても、石碑って意外と多いモノですね。
日本中の石碑を数えたら、100万くらいあるかも…?
どなたかご存知ないですか?
g○○gle先生もご存知なかったです…。
活字発祥の碑
黎明期の印刷業界の先駆者として日本の印刷文化の源泉となった功績を讃えて、昭和46年に作られました。
藤村や啄木の詩もこれらの技術に支えられて、世に広まったのでしょう。
…しかし、石碑は活字じゃないという。
ここはなんとか活字による石碑?というか記念碑でがんばってほしかった気もします。
そして、ついに辿り着きました今回の目的地!
こちらも活字で活躍した方です。
ここは芥川龍之介生誕の地です。
そうなんです、2015年夏の陣のスポットの1つに先乗りしてきました!
ここまで駅から徒歩で行ってみようということで、
途中にも何かないかな?と、調べてみますと、
明治の面影を感じることのできる石碑がありまして、
ざっと回ってみた次第です。
寄り道をしなければ、
約1~2時間ほどのお散歩です。
お時間があれば、
築地の海鮮でお食事もいいですし、
銀座のレストランで優雅に過ごすのもよさそうです。
ウインドウショッピングだけでも、とても楽しそうですね。
ですが、夏の陣の期間は、その名の通り夏ですので、
熱中症などにはお気をつけください!
それでは、あなただけの夏の陣のスポット巡りをお楽しみください!
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